(オープニングジングル)
柳瀬:
皆さん、はじめまして。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授の柳瀬博一です。今回よりお送りする国道16号線から日本が見えるでは、これまで可視化されていなかった文化圏、国道16号線というエリアについて考えていきたいと思います。
初回なので少々自己紹介をさせてください。私自身は今、東京工業大学という大学で先生をやっていますが、もともと学者でもなければ研究者でもございません。1988年に慶応大学を卒業後、日経マグロウヒル社、今の日経BP社に入社しました。しばらく『日経ビジネス』という雑誌の記者をやりました後、90年代の半ばから書籍の編集者を13年ほどやってました。例えばですね。ヤマト運輸の『小倉昌男 経営学』。赤瀬川原平さんや山下裕二と作った『日本美術応援団』。あるいはベンチャー経営者として非常に名を馳せました板倉雄一郎さんの『社長失格』。それから糸井重里さんと矢沢永吉さんの『アー・ユー・ハッピー?』。さらには武田徹さんのサントリー学芸賞を受賞された『流行人類学クロニクル』など、割といろんな本を作らせていただきました。養老孟司さんとは『養老孟司のデジタル昆虫図鑑』という虫の図鑑を日経から出したりもいたしました。
そういった書籍の編集者をしているかたわら、2000年代、たまたま私はインターネット関係の人たちとお付き合いが深くなったこともありまして、日経BP社の社内でウェブメディアの立ち上げに参画します。2006年日経ビジネスオンライン、現在の日経ビジネス電子版がスタートしますが、こちらの立ち上げに参画し、書籍になるようなコンテンツの連載を始め、その後ここに企画型広告のプロジェクトを立ち上げてそのプロデューサーに後になります。一方でたまたまお声がけいただいた、TBSラジオさんの「文化系トークラジオ Life」のサブパーソナリティをやらせていただいたり、あるいはこのTBSラジオでは後に「柳瀬博一・Terminal」という、1人でやる番組を作らせていただいたり。現在はラジオNIKKEIや渋谷のラジオでもラジオパーソナリティとしてのお仕事をさせていただいております。
実は日経BP社時代に、池上彰さんと私が仕事でお付き合いがありました。1つはJICAのプロジェクトで国際貢献の現場を池上彰さんに歩いていただくという企画をやりました。もう1つが池上彰さんが2012年、東京工業大学の当時のリベラルアーツセンター、今はリベラルアーツ研究教育院と言いますけど、こちらに参画されまして専任教授になりました。非常に面白い動きだったので、この模様を書籍にさせていただきましたら、そちらのご縁もありまして2018年3月に日経BP社を退社しまして、この4月から東京工業大学でメディア論を教える。学校の先生に初めてなったわけです。そして昨年2020年11月15日に新潮社から『国道16号線 -「日本」を創った道』、お陰様でささやかではありますが、色々の方に読んでいただいたり、書評をいただいたりしているということでございます。
というわけで、今回はなぜ私が国道16号線に注目したのか? そして今なぜ国道16号線が面白いか? というテーマでお送りしたいと思います。さあ、皆さん国道16号線って、そもそもどんな道路かご存知でしょうか? 国道16号線は、首都圏の方なら知ってる。一方で、一歩首都圏を出ると誰も知らない道路だと思います。というのも国道16号線は、国道1号線やあるいは東名高速道路、名神高速道路といった都市から地方に伸びる放射線状の道路じゃないんですね。環状道路です。東京湾の周囲をだいたい30キロ、40キロぐらいをぐるーっと一回りした、全長330キロほどの非常に長い道、環状道路です。スタート地点は横須賀の走水ということになります。三浦半島の浦賀水道のちょうどとんがったとこの先端のあたりになります。
ここから横浜を抜けまして、今度は神奈川の内陸部に入ります。大和の方を入って、一瞬東京都の町田を抜けた後、相模原の方へ行って八王子に入ります。八王子で東京郊外を抜けて、福生、それから埼玉に入ります。埼玉に入ると入間、川越、荒川を渡って大宮台地にあるさいたま市の中を通って、上尾を一瞬訪ねた後、クレヨンしんちゃんで有名な春日部ですね。春日部を抜けて江戸川を渡ります。こちらから千葉になります。野田市、柏市を抜けて、千葉ニュータウンのある白井、八千代、そして印西の近くを抜けた後、千葉市に入ります。千葉市に入って端っこの方から海っ縁の方を再び走るようになります。そして市原、袖ヶ浦、木更津。木更津を抜けて君津の火力発電なんかのあるエリアを抜けた後、最後は富津、ここ岬があるんですけど、富津の岬の手前まで回ります。これが国道16号線ということです。
なぜこの国道16号線が面白いのか。今申し上げましたように、東京中心から見ると典型的な郊外の道路なんですね。23区は一瞬もかすってないないわけです。一方で横浜、埼玉、千葉、この神奈川県と埼玉県と千葉県の県庁所在地の真ん中を通っているんです。あと相模原市は今、政令指定都市です。ですから巨大都市の真ん中も通っているので、ただの郊外道路というわけでもないんですね。国道16号線は、このシリーズで色々お話ししますけど、ここに地層のようにさまざまな自然、文化、文明、経済、軍事、いろいろなものが折り重なっている極めてユニークな場所で、それを掘り下げていくと、ある意味で日本という国の文化や経済、どうやってできたのかっていう非常に象徴的に分かる道路なんです。
私はその国道16号線の面白さに気付いた瞬間がありました。私自身は、慶應義塾大学の学生時代に恩師に進化生物学者で非常に高名な、岸由二先生という方がいらっしゃいます。この岸先生はリチャード・ドーキンスの有名な『利己的な遺伝子』などの翻訳をして、実はハゼの研究で、現在の上皇様と同じチチブの研究をされてたりしたんですけど、一方で新しいタイプの街づくりと自然保全をセットにする、新しいタイプの自然保全を具体的に志向されてました。その一番の代表事例が三浦半島の先端にある小網代という、70ヘクタールの小さいけれども川の最上流から河口までがまるごと守られていた緑があるんです。ここがゴルフ場や、あるいはヨットハーバーに開発されようっていう時に反対運動じゃなくて、地元や企業の方とちゃんと折り合いながら保全活動をしました。この小網代、三浦半島の先端にあります。ここに私は、岸由二さんのいわば弟子として、毎月のように通うことになったんです。
横浜の方から通う時に、必然的に車ならば国道16号線を必ず通ります。そして電車でも京浜急行がやはり国道16号線と並行してるんですね。知らず知らずのうちに、16号線ルートが私が活動する中心の場所になりました。一方で80年代、私が好きだった音楽。例えば矢沢永吉さんや松任谷由実さん、実は16号線にまつわる歌をいっぱい歌っていたんですね。あるいは作家の矢作俊彦さんの小説の舞台にも16号線は頻繁に登場します。
この音楽や、あるいは小説の舞台。片岡義男さんの有名な『スローなブギにしてくれ』。この映画版も福生と横浜の黄金町を結ぶ16号線の映像の物語だったりするんですね。このサブカルチャーや音楽と、それから自分が走ってる首都圏の海岸沿いの自然が残っている道路。なんで同じ場所なんだろうって思った時に、私がたまたま卒業の時に書いた論文が横浜正金銀行という、日本の金融において外為の部分の中心になる銀行です。これはもともと国の銀行で、後に東京銀行となるわけなんですけど、この銀行が日本のさまざまな産品の輸出に大きく変わってたんですね。その時1番重要な日本の輸出産業はなんだったか。生糸だったんですね。私はたまたま横浜正金銀行が明治維新以降の産業革命に寄与した物語について、具体的に論文を書くために調べてました。そうすると、実はこの生糸とというのが、まさに16号線が通っている横浜から八王子のルート。これシルクロードと後で言われたりするんですけど、ここに生糸を辿る道があって、これが日本のGDPの大半を稼ぎ、そしてここで稼いだお金で、今度は横須賀に日本で初めての巨大な軍港ができるわけです。こちらも16号線です。
殖産興業とそして富国強兵。全部たった20キロから30キロぐらいなんですね。横浜・横須賀の16号線沿いで起きてたんだってことに思い至るわけです。これは面白いと思いまして、90年代から20数年間、16号線に関するあらゆることを、ジャンルを分け隔てなく、これは自然、地形、経済、文化、ちょっと下ネタなんかも含めて、ずっとずっと集め続けていったんですね。それが私が国道16号線について、この1つの物語を作ってみようと思ったきっかけになります。
ということで、こちらのシリーズでは、次回から国道16号線が一体どういうところなのか、具体的にお話をしていきたいと思っています。次回からは国道16号線ってどんな経済が今あるんだろう、どんな文化があるんだろう、そもそも16号線には日本を形づくる上で非常に重要な歴史がある。そして中心となった今の東京の中心部と、郊外に見る16号線の比較などをしている。さらに言うと、せっかくだから皆さん16号線いろいろ歩いていただきたい、車で遊びに行っていただきたいなと思って、スポットの紹介なんかもしていきたいと思っています。以上、柳瀬博一でした。
(以上書き起こし終了)
1. なぜ国道16号線なのか
2. 経済圏としての国道16号線
3. 文化発祥としての国道16号線
4. 地形と歴史から見た国道16号線
5. 都市VS郊外
6. 国道16号線を歩いてみよう!
柳瀬博一さん
慶應義塾大学経済学部卒業後、現在の日経B Pにて記者、編集者として活躍。2018年より現職。『小倉昌男 経営学』『日本美術応援団』『社長失格』『アー・ユー・ハッピー?』『流行人類学クロニクル』などを編集。ラジオD Jとしても活躍。