【書き起こし】廣瀬瞬さん「靴のカスタマイズから見えたもの」

プロから直接学べる音声メディアVOOX。10分×全6回のコースのうちの、第1話「なぜカスタマイズを始めたのか」を書き起こしで紹介。スニーカーのカスタマイズを手がける「リクチュール」代表の廣瀬瞬さんが、大量生産された物に溢れるこの世界に、カスタマイズ文化がどのような影響を与えていくのか。0→1ではなく「組み合わせ」で作り上げる新たなクリエイティヴの思想について解説します。

(オープニングジングル)

廣瀬:

皆さんはじめまして、リクチュールオーナーの廣瀬瞬です。今回よりお送りする「靴のカスタマイズから見えたこと」では、靴のカスタマイズを通して広げてきた、0から1ではなく、組み合わせで作り上げる新たなクリエイティブの思想をお伝えします。私がする靴のカスタマイズがどんなものかというと、音楽におけるサンプリングみたいなものなんですけど、例えばアディダスのスニーカーのソールをレザーソールにしたり、ヒール部分にティンバーランドのブーツのデザインの一部を移植するなど、異なる靴のパーツを組み合わせて、1つの全く新たな靴を作ることです。なぜ私がこの靴のカスタマイズに出会ったのか、それまでの道順をお話いたします。

基本的にもう勉強が好きではなくて、家でネットゲームばっかりやってたんですけど。そんなことやってたら大学の単位も取れず、結局辞めて。そのゲームも限界が見えてつまらなくなってしまったというのがあって、それもほぼやらず。そうなったらもう何も自分にはなかったんですけど、母親が服の直しをやっていたこともあって、近くの同じ経営の靴修理屋があったので、「そこでバイトでもしてみない」っていうのを母親から言われる。僕自身けっこう器用だったこともあって、向いてるかなっていうのもあったんですけど、それで靴修理屋を始めました。駅前によくあるチェーン店みたいなお店です。ファッションには興味があったんですけど、靴に興味がなかったっていうか、靴修理っていうものをしたことがなかったんですよね。ほかのスーパーやコンビニで働いたことがあったんですけど、そこだとすごく時間が過ぎるのが遅かった。学校の授業と同じような感じだったんですけど、靴修理だとほんと8時間があっという間に過ぎてしまってたんですよね。それって僕の中ではちょっとゲームに近い感覚で、楽しいというかこれ楽だなっていう意識の低いものなんですけど(笑)、そういうところからまあ半年ぐらい働いてました。


靴修理屋から焼肉屋へ


作業自体は好きなんですけど接客があんまり好きじゃなくて、1人で店を回さなきゃいけないようなところだったので、 作業だけしてる人っていうポジションはないんですよね。靴修理もしなきゃいけない、合鍵も作らなきゃいけない、靴のクリーニングもしなきゃいけない、接客しなきゃいけない。靴修理の技術には自信があったんですけど、接客が今思うとかなりひどかった。そういうこともあってか、ちょっと恥ずかしいんですがクビになってしまいまして、とりあえず近くの焼肉屋さんで働くことになりました。接客のスキルは上がったんですが、接客業はあまり向いてないと感じていた時に前の上司から連絡がありまして、「靴修理店で3ヵ月後に閉めなきゃいけない店があるんだけど、その3ヶ月間働いてくれる人がいなくて、廣瀬君働かない?」と声をかけていただいたんです。まあ、また意識の低い状態でそのお店に行くんですけど、靴修理ができて接客もできるようになったので、売り上げも伸びていって、閉店予定だった3か月後には充分採算が取れる店になってました。閉めなきゃいけない店の売り上げが3倍になって、閉めるのもどうかなっていうふうに本部が検討しだしました。

当時20歳だったんですけど、その時にスーパーバイザーというそのエリアを担当している人から「廣瀬君、そのフランチャイズのオーナーにならない?」って言われて、20歳だしどうかなって思ったんですけど、潰す店だったので「初期費用0でいいよ」っていう好条件を出してくれたので、それも意識が低いんですけど、これはお金になるなっていうので、引き受けることになりました。

オーナーになると教えてくれる人がいないので、ネットで靴修理を調べたりとか、常に試行錯誤の連続で、やっぱり自分だけでネットだったりとか、そういうところから得る情報だけだとやっぱり限界があって。そんな中で靴を作れる教室を個人でやっているところがあるっていうので、通うことになったんですけど、そうなったらもう全然靴修理の世界が違ったんですよね。今までやってたのは、本当にもともと変えるのを想定しているパーツを、マニュアル通りにつけて返すっていう。ただそこは、靴も作れるし、バッグも作れるし。もちろん靴は作れるってことは修理の幅も全然違って、そうなった時に靴修理って楽しいなって初めて思ったんですよね。

もちろんそのフランチャイズもやりつつ、その教室に通っていたので、意識がどんどん変わっていって、なんとなくお金じゃないなあっていう。自分の満足できない仕事とかもチェーン店だとやらなきゃいけないことが多くて、それが僕はストレスになってしまったので、自分でお店を持つ事に決めました。靴修理のお店を持つときにどこに出そうかなってなったんですが、国分寺が地元だったこともあって国分寺に店を出すんです。駅から徒歩1分の場所だったので、今までフランチャイズで出してきた店舗で考えると充分採算は取って生活できるなって思って。しかも本部に取られるお金もないから、これはお金になるなと(笑)。結局お金の話してますけど、それでもうお店を始める前に家賃15万のところに住んでお店をやるんですけど、最初の月30万とかで、家賃払ったら一切残らないぞっていう。2ヶ月、3ヶ月で実家に帰るんですけど、細々と3年間ぐらい国分寺で靴修理をしてまして。結局その時もフランチャイズの意識があんまり消えてなくて、3坪で駅近っていうフランチャイズ的な店だったんですよね。ただ、結局フランチャイズって宣伝もしてくれるし、ネームバリューみたいなのもやっぱりあるようで、やっぱり個人でやってるところって、僕の中では前のお店よりかっこ良く作ったつもりだったけど、結局かっこいいお店に靴修理出したい?っていう。普通の人からしたらクリーニング屋とかも、全然おしゃれなクリーニング屋って僕も求めてなくて、まあ3年ぐらいその狭い店舗で営業していたんですが、やっぱりその3年のうちにもしたいことが増えたり、お客さんも多少増えるので、もうちょっと駅から5分の10坪ほどのところに靴修理屋を移転することになりました。


限界を感じていた時に


その後も試行錯誤をして靴修理店を経営していくんですが、まあ3年ぐらい経ったところで、ぼくの靴修理のキャリアも10年ぐらいになっていて、結構限界というか、自分の伸びしろがなくなっている状態で、ここからはもう時間をかけてただ修理をするしかない。「うーん、これはつまらないぞ」っていうふうに感じてしまいまして、つまらないぞって感じながら仕事をするようになってしまったんですよね。

靴修理を始めると自分で修理できるものしか履かなくなって、ブーツだったりとかばっかり履いていたんですね。そんな中でスニカーを久々に履くかって思ったら、なんか自分のファッションに合わなくて、これどうしたものかなって思ったところで、スニーカーの底をブーツの靴底にしてみようと考えまして。ブーツの靴底に変えたら僕の中ではカッコよくて、それをInstagramにアップしたら今までいない「いいね!」をいただいて。次の日には千葉からお客さんが来てくれたんですね。それまでは本当に国分寺のお客さんしかいなくて、千葉からわざわざ高速乗って来ましたっていうお客さんにけっこう衝撃を受けて、今までにない嬉しさを感じました。

お客さんの靴をカスタムしたらInstagramにあげるんですけど、カスタム例がどんどん増えていって、海外メディアからタグ付けされたりとか紹介されたりとか、なんか芸能人からDMきたりとか。国分寺で今まで靴修理ではなかったようなことが起こって、靴修理屋はもちろんやってるんですけど、それよりもスニーカーのカスタムの売り上げが越えるようになりました。海外からも毎日お客さんが来てくれて、ファッションに近づいてきたので、やっていくうちにこんなこと言うのもあれですけど、普通の修理よりカスタムに特化したいなっていうのがありまして、青山でスニーカーカスタムのお店として今は営業しています。

次回から日本では耳慣れない靴のカスタマイズの世界やその裏側、またいかにしてアイディアを着想するかなど、いろんな角度で靴のカスタマイズについてお話しします。廣瀬瞬でした。

(以上書き起こし終了)

「靴のカスタマイズから見えたもの」全6話 60min
1. なぜカスタマイズを始めたのか
2. 修理から見た靴の特徴
3. 真似とオリジナリティ
4. デザインの発想
5. 靴のカスタマイズの限界
6. Recoutureのこれから

廣瀬瞬
リクチュール代表。
1986年、東京都生まれ。20代前半で靴修理のフランチャイズ店の経営に携わり、靴作りを学ぶ。2013年、国分寺に靴修理店「国分寺シューズ」を開店、18年に店名を「リクチュール」に改称。

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