【編集長ブログ】人の働きを無駄遣いしていないか?

難しいことをシンプルに。VOOXでもお話しをしてくれている田内学さんの『お金の向こうに人がいる』は、まさにそんな本だ。経済とは何かを専門用語を一切使わずに語ってくれる……

難しいことをシンプルに。VOOXでもお話しをしてくれている田内学さんの『お金の向こうに人がいる』は、まさにそんな本だ。経済とは何かを専門用語を一切使わずに語ってくれる。ミクロ経済やマクロ経済、さらには金融システムの仕組みなど、勉強しなければわからないと思っていた経済の原理が本当にこんなにシンプルな解説で大丈夫なのだろうかとさえ思った。

それでも、著者は経済の仕組みのど真ん中にいた人だ。投資銀行のゴールドマン・サックス証券で16年間、金利トレーダーをやっていたバリバリの資本主義の権化の世界に身を置いていた人なのだ。そんな方なのに、この本では見事に専門用語も横文字も出てこない。冒頭から「なぜお札をコピーしたらいけないのか?」などという子どもの疑問のような問いからスタートする。

全編このように、シンプルな問いを立ててその問いから経済のメカニズムを解き明かそうとする。そして最後は、「未来のために、お金を増やす意味はあるのか?」という問いである。つまり、そもそものお金の原理から最後は社会における経済のありようまで語ろうとする。

最も印象的なのは、本書では「お金」を「誰かに働いてもらう権利」と定義していることだ。言い換えると、経済はお金で回るのではなく、みんなの「働き」で回っているという。この定義を用いると高齢化社会の課題は、年金額の総量ではなく、誰が働けなくなった人の世話をするかになるし、仕事の価値も「その仕事が社会にどれだけ幸せを作ったか」となる。

この定義から、お金とどういう付き合い方をしているかを改めて考えるきっかけになった。主に、僕らは「お金を払う」と「お金をもらう」の2つの活動をしているのではないか。前者は「消費」と呼ばれ、後者は「仕事」と呼ばれる。消費は、自分が幸せになるための選択であるが、自分でそれを満たすことができれば、お金を払う必要がない。逆に言うと、自分でできないからこそ、誰かが代わりにやってくれるのであり、その対価を払う行為が消費となる。仕事とは、まさに、誰かのために役に立つことなのだ。

さらに、このお金を「誰かに働いてもらう権利」という定義からすると、世の中にはお金の無駄遣いには敏感なのに、「誰かの働き」の無駄遣いには鈍感になっていることに気づく。

誰しも自分のお金は有効に使いたい。無駄な支出を抑えて、本当に自分を満たすことに使いたいので、無駄遣いをしてしまうと「しまった!」とちょっと後悔する。同様に、社会は税金の使われ方へもシビアな見方をする。行政の不効率は日常的にメディアを賑わす。しかし、僕らが気にする無駄遣いの正体は、「誰かの働き」に対するものではないだろうか。

本書でも例として出てくるが、宅配便が届く時間にいなくても配達料金は変わらないが、配達する人が何度か訪れることは労働の無駄遣いである。僕らが支払う送料は変わらないが、誰かの労働を無駄遣いしていることには違いない。

他にも僕らは無意識のうちに誰かの「労働の無駄遣い」をしている。食べきれずに廃棄する食べ物は、それを作って運んで売り場に並べる人たちの労働の無駄遣いだ。一回しか着なかったシャツ、読まなかった本、履かなかった靴も、すべて誰かの労働の無駄遣いだ。

「お金を払ったから一緒」という考えはお金の論理では正しいが、お金が「誰かの労働」だとするど、その誰かの働きを無にしたことになる。「懐が痛まない」かもしれないが、誰かが働いた意味をドブに捨ててしまっているようなものだ。

会社で「こんな仕事にやる意味があるのか」という仕事をあてがわれたとする。それはマネジャーがその人の労働を無駄遣いしていることになる。以前、小売店に勤めていた人に「暇疲れ」という言葉を聞いたことがある。訪れるお客さんが少なくて暇すぎることが苦痛だったと。お給料はお客さんの数や売り上げとは無関係だ。この「暇疲れ」も、必要以上の人員を配置することから生じる労働の無駄遣いである。企業などでは、年末に予算が余ったからと言って、さして重要でない調査などを実施することがある。これは、お金という経済で考えると「需要」の創出だが、社会に幸せを増やす「労働」の観点からは、無駄遣いである。

見渡してみると、世の中にはこの労働の無駄遣いに溢れている。そして労働の無駄遣い、それは労働に対する過小評価であり、これがデフレ経済の一因ではないかとさえ思えてくる。

その意味で、この「お金の向こうに人がいる」という書名の言葉が心に刺さる。向こう側への想像力が欠如してしまっていることで生まれた問題が多いのではないだろうか。そしてこの想像力があれば、「誰かの働きの無駄遣い」は相当減るのではないだろうか。

パートナーの作ってくれたケーキは甘すぎても「美味しい」と食べるし、しょっぱすぎる味噌汁も完食する。それはお金を払ったから関係ないという考えや、払ったお金の本を取ろうという発想とも真逆である。そこにはお金ではなく、働いてくれた人の「顔」が見え、その働きが想像できるのだ。顔の見えるその人の労働を無にしたくない。その感覚は、おそらく人にとってプリミティブなものだろう。

かつてアウシュビッツの収容所では、「午前中に穴をほり、午後にその穴を埋める」という労働が行われていたと言う。これはお金をもらえたとしても、究極的に辛い仕事に違いない。

経済の仕組みは複雑であろうと、仕組みは簡単に変わらないであろうと、僕らがお金の向こうへの想像力を少し発揮するだけで、経済は本来の形に近づくのではないか。経済の仕組みから、お金の使い方、そしてお金のもらい方まで考えされられる本である。

2021/11/8 VOOX編集長 岩佐文夫

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